| 岩波書店略史
(1998/5/2)
岩波書店は,1913年(大正2年),岩波茂雄によって創業された。この岩波文庫の生みの親,岩波茂雄のプロフィールと岩波書店の歩みをまとめてみた。
1901年には,旧制第一高等学校に入学し,同級の阿部次郎らとともに読書や聖書に親しむようになる。03年に一高生藤村操の投身自殺にショックを受け,夏の間,野尻湖の孤島にこもるなどして,学校は落第。安部能成らと同級になる。 05年,東京帝国大学哲学科選科入学。神田北神保町に下宿する一方,日曜日ごとに小山内薫や志賀直哉らとともに,内村鑑三の聖書講義へ出席。07年には結婚し,本郷弥生町に移り住む。このころ,「内外教育評論」の編集を手伝う。 08年,帝大を卒業し,神田高等女学校の教師となり,教頭として修身などを教える。
14年9月,夏目漱石の「こころ」を刊行。岩波書店ではこれを処女出版としている。
19年からは新刊専門販売店となり,20年には小石川の中勘助宅を購入し,自宅とする。23年の関東大震災では,店舗,印刷工場などすべて焼失するが,バラック建てで復興。24年には年間80点を刊行,店員も37名を数える。25年,最初の「図書目録」を発行。収録点数330点。
30年,岩波文庫に売上カード方式を導入。31年,雑誌「科学」を創刊。同年,「岩波文庫目録」を作成。 32年,岩波文庫教科書版30点を発行。33年,岩波文庫「イミターショ・クリスチ」絶版。春秋社が同書を無断で出版したため告訴。この頃,茂雄はFIAT814を愛車としていた。岩波全書を創刊。ミレーの種まく人をトレードマークにする。 36年,奥付記載の著訳者名にふりがなを付け始める。この年,新刊点数262点,店員103名。38年,岩波文庫社会科学関係書の発禁処分。PR誌「岩波月報」を「図書」と改題。39年,奥付に落丁本・乱丁本は取り替える旨表示。39年,従来の委託制を改め,買切り制を実施。
40年,津田左右吉の著書をめぐって,著者と岩波茂雄が出版法違反で起訴される。資材不足のため岩波文庫の栞を廃止。41年,岩波文庫・新書も買切り制を実施。岩波文庫の活字が当局の要請により9ポイントとなる。この年,店員178名。
44年,用紙割り当ての減少により,多くの雑誌を休刊。45年,岩波茂雄,多額納税者議員として貴族院議員に当選。5月,空襲のため自宅を焼失。店員の多くが疎開し,残ったのは13名。8月終戦。9月,貴族院に初登院したが,質問の機会もなく閉院。 46年4月25日,岩波茂雄没。行年62歳。 |