|
ドストエフスキー"妻への手紙"
(1997/12/6)
そう,ドストエフスキーはギャンブル狂だったのである。 本書「妻への手紙」には,一文無しになり質草がなくなっても 一発逆転を夢見てルーレット台から離れることのできない情け ない自分を嘆く文面が随所に出てくる。そして手紙の最後は決 まって,"愛する妻よ,どうぞ送金を急いでおくれ"....。 もっとも「手紙」の相手たる二人目の妻アンナと知り合ったのも, この「賭博者」という作品が縁であった。 当時,出版社からの前借りで首が回らなくなっていたドストエ フスキーは,借金返済のため大急ぎで作品を渡さねばならなかった。 しかし,とうてい執筆している時間がないので,一計を案じ, かねて腹案のあった(実体験そのままですな^^;;)この「賭博者」 を口述筆記でやっつけてしまうことにした。そのとき, 速記者として紹介され,やってきたのが,若いアンナだったのだ。 ちょうど,愛する兄や妻に先立たれて寂しい生活を送っていた ドストエフスキーは,このアンナに惹かれ,1ヶ月でプロポーズ。 アンナもまた,高名な敬愛すべき作家に見初められたことは満更 でもなく,4ヶ月目には結婚と相成った。 しかし再婚となると,自分たちの生活が脅かされる先妻の子供や 親戚が黙っていない。借金苦も相変わらずだ。そこで夫妻は, 新婚生活もそこそこに,周囲のゴタゴタから逃れるべく,ドイツ, スイス,イタリアなど西欧各地に,足かけ4年にわたる旅に出た。 (この間も,ルーレットで散々痛い目にあっている) 帰国後は,家族を生活費を削減するため地方へ転地させ,自分は ペテルブルクに残り,毎日のようにアンナへ手紙を書き続けた。 この手紙は作家の死後,夫人により整理,分類され,詳しい註も つけられていたが,公にされたのは,夫人の死後,ドストエフス キー家所蔵文書中より発見されてから以降である。 「妻への手紙」には,結婚前から晩年に至るまで,妻アンナに 送った手紙162通が収められている。作家の"手紙"や"日記" には,あらかじめ作品として公にされることを意図して書かれ ているものもあるが,この「手紙」はまったくプライベートな もので,ドストエフスキーの生活を知る上で貴重な資料だ。 そこで,その内容だが,これはもう第一に金の話。それも賭博 の反省と借金の心配。これに持病の話を加えれば,これがほと んどである。作家の精神世界を盗み見て,作品解釈の手だてに しようという人々は,いきなりコケざるを得ない。 実際,岩波文庫版700ページにも及ぶ手紙が,あまりにうん ざりするものばかりなので,最後まで読み通すのには,非常な 根気が必要だ。ざっと拾い読みして,ああ,ドストエフスキー も日常の些事に煩わされることでは,我々と一緒だったのだ, と安心し,その作品に一層の親しみを感じるのなら,それでも 充分か。 しかし注意しなければならない! 本書の中でいちばん重要な 手紙はいちばん最後,すなわち1880年6月にモスクワで行 われたプーシキン記念祭での自らの演説の様子を伝える13通 だからだ。これはロシア文壇にとって歴史的事件であった。 このとき,当時の文壇を二分していた西欧主義者ツルゲーネフ と,スラブ主義者ドストエフスキーが,国民詩人プーシキン記 念像の除幕式に当たって,ともに演説を行い,ドストエフスキ ーが聴衆より熱狂的な支持を得たのだ。 手紙は,"頭が変になり,手足が震えるような"ドストエフスキ ーの極度の興奮ぶりを伝えている。たしかにドストエフスキー にとって,生涯最後の大事件となったここのところは,ぜひ読 んでおきたい。(復刊されて間がないので,新刊書店で入手可能) |